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患者様の声

品川竜二さん(仮名)34歳 北陸地方在住

2009年の春頃、耳の閉塞感が続き、地元の耳鼻科を受診したところ、中耳炎と診断され、治療をスタートしました。ところが、半年間治療を続けても症状が良くならず、その原因もわからないということで、別の耳鼻科に行ったところ、地元のがんセンターを紹介されました。

そして9月にがんセンターを受診し、鼻から内視鏡を入れて細胞検査をしたところ、悪性であることがわかり、内耳および上顎洞のがんと診断されてしまいました。

今思い返してみると、症状が出る半年ぐらい前から、鼻をかむと鼻血が出ていたので、もっと気にしていればよかったのかもしれません。ただ、すぐに血も止まっていましたし、ほかに症状があったわけではなかったので、まさか重い病気だとは思っていませんでした。もちろん、がんになっているなどとは微塵も思っていませんでした。

がんは、頭蓋骨の中心にあたる部位にあり、もし手術すると顔の半分がなくなってしまうということから、がんセンターでは手術は不可能と判断され、放射線と抗がん剤を組み合わせた強力な治療をすすめられました。この治療は顔面に放射線を照射するため、唾液が一生出なくなり、しばらくは味覚もなくなると言われ、それはつらいなと思いましたが、当時はがん治療についての知識などはまったくなく、それでも命が助かるならと、先生に言われるまま治療を受けるつもりでした。そして保険金のことを相談するため、保険の担当者の方に電話をしたんです。

すると、その担当者の方から、「適用されるかどうかわからないけど、重粒子線治療という方法があるから、がんセンターでの治療は少し待ってください」と言われたのです。

その数日後、メトック株式会社(現株式会社HMC)の吉川さんを通し、千葉の放医研に予約を入れてもらい、自分に重粒子線治療が適用出来るかどうかを検査してもらうために上京しました。検査の結果、幸運にも適用できるということで、地元のがんセンターの治療は中止し、検査の2週間後(11月)に放医研に入院して、重粒子線治療をスタートしました。重粒子線は計16回照射し、1ヶ月弱入院しましたが、重粒子線治療費用の314万円は先進医療特約から給付があり、さらに入院費もがん保険から給付があったので、安心して治療を受けられました。

また、重粒子線治療の直後は、やはり味覚がなくなりましたが、それも徐々になおり、体への治療の負担はほとんどなかったので、とてもありがたかったです。

その後、地元のがんセンターへ戻り、2010年2月から抗がん剤治療をスタートしました。私の治療法は、1週間24時間ずっと抗がん剤を点滴で打つというもので、入院が必須となります。さらに、抗がん剤治療のあとは体力が落ち、白血球の数も減ってしまうので、その回復のために約2週間入院が必要です。つまり、1回の治療のために3週間入院することになります。

そのため当初は、2ヶ月に1度治療することにしていたのですが、「もし体力がもつのであれば、2週間おいてすぐに再開できる」ということでしたので、そのようにお願いしました。それでも、抗がん剤治療の体力的な負担は大きく、個人差はあるでしょうが、仕事と両立している人は大変だろうなと感じています。

この抗がん剤治療は全8回行い、2010年中にすべて終了する予定で、11年から仕事復帰を目指しています。なお、抗がん剤治療は1回約10万円かかるものの、こちらも保険金が出ましたので、安心して治療を続けることができました。でも、もしそうしたお金がなかったら、費用の負担は大変だろうなと痛感しています。

また、勤務先も当初は「休職期間が半年を過ぎると、席を残しておくのは難しい」と言っていたのですが、抗がん剤治療が10年いっぱいで終わり、復帰のめどがたっているということで、約1年という長期間の休職を認めてくれました。やはり、戻る場所があるということは、治療の励みになりますし、中には解雇されてしまう人もいると思うので、そういう意味でも自分は幸運でした。

現在は週1回、内視鏡で術後の経過観察をしてもらっていますが、再発もなく、状態はいいと言われており、安心して毎日を過ごしています。でも、もしがんセンターで言われていた通りの治療をしていたら、どうなっていたかと思うと、重粒子線治療を紹介してくれた保険担当者の方に、感謝をしてもしきれないほどです。

最近はテレビを見ていると、がん保険のCMが目につきますが、月100円程度の先進医療特約をつけるだけで、気持ち的にとても楽になるはずですし、逆に何もしなければ、治るべきものも治らないのではないかと思っています。

佐藤正人さん(仮名)68歳 中部地方在住

私はもともとスポーツマンだったこともあり、若い頃から人一倍健康には気をつけていたので、30歳の頃から毎年必ず人間ドックも受けていました。その結果いつも良好でしたので、ずっと安心していたのですが、2009年6月に検査を受けた際にふと「PSAの値はどうなっていますか?」と先生に聞いたら、「検査項目から外れています」と言われ呆然としてしまいました。自分ではずっと人間ドックのオプションをすべて付けていると思っていたのですが、PSAの検査はなぜか3年前に項目から外れていたのです。

そこで、改めて検査をしてもらったところ、値が62と言われ、すぐに地元のがんセンターを受診しました。そこですぐ生検したところ、先生の第一声は「前立腺がんです。悪性で手術もできず、手遅れです」というものでした。さらにがんセンターでは治療できないとのことで、大学病院を紹介されました。

そして2ヶ月後、大学病院で再度MRI検査をしたところ、転移がないことはわかったのですが、やはり手術は無理とのことで、ホルモン治療と放射線治療をやってみましょう、ということになったのです。

ホルモン治療はすぐにスタートし、放射線治療は約半年後の10年の1月から13回照射することになったのですが、放射線治療が始まる2日前に、メトック株式会社(現株式会社HMC)の吉川さんを紹介していただいて相談したところ、「重粒子線治療が適用できるかもしれません」と言われ、放射線治療は中止してもらいました。

その後、すぐに放医研に行き、経緯を話しましたら、「ハイリスクではありますが、同じような方が治療をして回復していますので、条件があうようでしたら治療をしましょう」と言っていただき、とても親身な対応で本当に心強かったですし、「これで救われた」と痛感したことを覚えています。

やはりがんは死に直結しているイメージがありますし、「あなたはがんです」と言われることに慣れている人なんていないと思うのです。ですから、最初にがんだと言われ、手術はできないと言われたときには、正直やけになっていたかもしれません。

そして2010年2月初旬に、再度放医研を訪れると、ホルモン治療が6ヶ月経過し、PSAが安定しているというのが条件にあてはまったということで、 重粒子線を計12回照射していただけることになりました。

そうして5月末に入院し、入院翌日には治療を開始し、火、水、木、金曜と連日4回照射して、3日休むというスケジュールでした。治療はまったく体に負担がなく、治療の最中も、いつ照射しているのかわからないほどでした。痛みがないため、恐怖心もなく、毎日元気でしたので、病室にパソコンを持ち込んで仕事もしていましたし、朝の散歩では1キロのウエイトをつけて歩いていました。あまりに遠くまで出かけて、婦長さんのお目玉をくらったこともあったほどです。そして6月中旬には無事退院となり、その翌日から平常勤務も可能でしたので、すぐにたまっていた仕事をこなすこともできました。

「すべてのがん細胞をやっつけられたかどうかはまだわからないので、3年間は経過観察が必要です」と言われましたので、9月に地元のがんセンターで血液検査を行いましたが、今は自覚症状もまったくないですし、とくに問題ないとのこと。現在でも、抗がん剤の注射を3ヶ月に1度、薬は毎日飲み続ける必要がありますが、頻尿も改善にむかっています。  今思うと、随分前からトイレに行く回数は増えていたのですが、病気だとは思っていませんでしたし、まさかがんだなどとは疑ってもいませんでした。実際、私のような人は多いのだろうなと思います。

実際に治療を受けてみて、重粒子線治療がもっと世の中に知られる機会が増えたらいいのになと痛感しています。このような治療があることがわかるだけでも、多くの人が安心できるのではないでしょうか。また、メトック株式会社(現株式会社HMC)のように、がんのことを相談できる場所がもっとあればいいのに、と思っています。

相澤洋司さん(仮名)64歳 関東地方在住

1999年9月、当時は52歳でしたが、尿の出が悪くなり病院へ行ったところ、尿管結石と診断されました。その際医師から「まさかとは思いますが、一応細胞の検査をしましょう」と言われ生検を行うことになり、12月初めに前立腺がんを告知されてしまったのです。

そして、2000年の7月に結石の手術をしたあと、9月に前立腺の全摘手術を行うことになりました。ところが術後に、医師から「悪いところをすべて取り切れていない可能性があり、リンパに残ったかもしれません」と言われ、実際に術後すぐは0.2だったPSAが、半年後には3.0に上昇し、ホルモン療法を開始することになりました。

しばらくはプロスタールの投薬とリュープリンの注射を行っていたのですが、2003年の8月にはPSAの値が6.0になってしまい、薬をカソデックスに変更、10月にはまた0.3と数値は下がったのですが、12月に投薬を中断したところ、翌2004年5月には6.0に戻ってしまったため、カソデックスを再開しました。しばらくは調子がよかったのですが、2007年2月にはまたPSAが5.2と上がってきて、医師からは使う薬がなくなったと告げられました。そこで、すぐに癌研有明病院へセカンドオピニオンを受けに行ったところ、「通院での放射線治療が望ましい」と言われたのですが、仕事があるため通院治療は難しく、放射線治療は断念せざるをえませんでした。

その後、民間療法も試してみたのですがうまくいかず、ネットでいろいろ調べて病院探しを続けていたところ、夏に友人から紹介を受けた吉川さんから樹状細胞ワクチン療法を紹介され、9月末にセレンクリニックを受信することになりました。

その時点では、PSAが116まで上がっており、クリニックでは「樹状細胞ワクチン療法だけでは難しいので、放射線治療を併用してください」と言われ、とりあえず血液を採取してワクチンを作っておいてもらい、まずは11月から名古屋市立病院で放射線治療を行いました。照射は計33回で、約1ヶ月半かかりましたが、仕事も続けながら治療ができたので、ありがたかったです。そして、放射線治療後にPSAが12程度まで下がり、いよいよ2008年1月に入ってから、樹状細胞ワクチンの注射を開始しました。

治療は1セット7回の注射で、4月下旬に最後の注射を打ってもらったのですが、その後地元の病院での診察に切り替え、7月に検査したところ、なんとPSAが0.086まで下がったのです。その後、3ヶ月に1度PSA検査を行っていますが、1年後の2009年6月には数値が0.008以下となり、それ以降、直近の2010年10月の検査まで、ずっとその数値を保っています。

そのほかには、1年に1度CT検査を行っていますが、治療というほどの治療は行っていません。今では毎日がんの心配をすることなく、元気に過ごしています。

吉川さんとの出会いがなければ樹状細胞ワクチン療法を知ることもなかったと思いますし、自分がどうなっていたのか想像もつきません。吉川さんと巡り合えたこと、セレンクリニックで治療を受けられたことに感謝しています。

田中涼子さん(仮名)41歳 関東地方在住

(※お話はご主人に伺いました)

妻の涼子はもともと頭痛持ちで、あまりに頭痛がひどいため、2010年2月に地元の病院の心療内科を受診しました。その際、脳のCTを撮ったところ影がうつり、MRIで再検査したら脳腫瘍が見つかりました。このときすでに、悪性である可能性が高いと言われて細胞診をすることになり、また脳圧が上がっていたのでそれを下げる必要もあるということで、1週間後にすぐに手術をしました。そしてその際の細胞診で、やはり悪性と診断されてしまったのです。

診断を受け、あらゆる治療の選択肢を考えて複数のクリニックや病院とコンタクトしつつ、手術した病院で早速放射線治療と抗がん剤治療を始めました。本当は、臨床試験で治療ができないかと模索していたのですが、そのうち治療の効果が出てきて、がんの進行が止まったため、大学病院の治験にはエントリーできませんでした。

でもその時点では、できる治療はすべてやらせたいと思っていましたし、ネットでいろいろと調べたりセカンドオピニオンでも相談していたところ、知り合いの保険のセールスマンから吉川さんを紹介され、免疫療法のことと、治療を行っているセレンクリニックを紹介いただきました。

そして7月にセレンクリニックへ伺い、すぐに免疫療法を始めることを決意。早速樹状細胞ワクチンを作っていただき、8月下旬から投与を始めて1週間に1度、1クールにあたる7回投与しました。注射は皮下注射で、両脇の下に6ヶ所打つため、注射のあと少し痛みがあるのと、注射の翌日に発熱があるようでした。なお、治療後の免疫検査のため、10月中旬に血液を採取し、11月中旬の検査でもとくに問題はなく、一安心しています。

免疫療法は非常に期待できる治療法ですが、やはり出費が大きいと思います。一般的な入院治療では、ほとんど費用がかからないので、なおさらそのように感じるのかもしれません。もし、自分が仕事をしながらこの治療をすることになったらと考えると、体への負担はさほど大きくないため、体力的にはなんとかなるでしょうが、費用的には大変だろうなと感じています。

なお妻は現在のところ自宅療養中ですが、安静が必要なものの歩行もできるようになり、かなり回復しているように思います。なお、薬を5日飲んで23日休むという抗がん剤治療は継続していますが、幸い副作用はあまりひどくないようです。ただ、以前の放射線治療の副作用で、白血球数が下がってきてしまい、これ以上数値が下がると治療方法を変える必要が出てきてしまうということなので、慎重に経過を見守っているところです。

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